招かざる客の訪問に、城門は軋みを上げて開かれた。
彼に次いでエントランスホールに足を踏み入れる。
明かりの灯らない城内は暗く、静寂に包まれている。
快い歓迎を受けた以前とは、あきらかに様子が違った。
村の伝承で聞かされていた領主様のお城に近づけない原因。
主人以外を拒む結界も、今は施されていなかった。
オーギュスト「静かだね」
メアリ「ええ……」
彼は辺りを注意深くうかがっている。
警戒を解かないのは、闇に潜む家主を思ってのことだろうか。
――ジェラルド様はどこにいらっしゃるのかしら。
あの強く美しいジェラルド様が彼の手にかかったとは思いがたく、来客に気づかぬほど鈍くもないはずだ。
なにより主の居城を土足で踏み入れられたとあれば、その使い魔が許さないだろう。
メアリ「レルム……」
――あの子も、いなくなってしまったのだろうか?
乾いた靴音だけが響く。
階段を登りきると、正面に背丈をゆうに越える大きな肖像画が飾ってあった。
ジェラルド様と長い髪のきれいな女性。
私がこの城で過ごした夜――ジェラルド様は、女性のことをこう呼んでいた。
オーギュスト「アルトメイデン」
メアリ「――え?」
耳を疑った。アルトメイデン。理由はわからないが、それは私の呼び名だ。
ジェラルド様は私をアルトメイデンと呼び、次いで出会った貴族も同様だった。
理由はわからず、名の示す意味も知らない。
知りうる限り誰に聞いても、答えは得られなかった。
それを――
メアリ「今、なんて言ったの」
オーギュスト「なんだい、メアリ」
メアリ「その絵の女性を知っているの?」
オーギュスト「まさか、私が知るわけないだろう」
メアリ「本当に?」
オーギュスト「私が信じられないのかい?」
メアリ「…………」
オーギュスト「ははは、厳しいね」
メアリ「どうして笑うの?」
オーギュスト「これは失礼。君の怒った顔が珍しくて、ついね」
メアリ「……怒っていないわ」
生きる死体となった自分に感情などあるはずがない。
思考を閉ざし、余計なものを見ないように、余分なものを取り込まないようにしよう。
少しでも痛みをやわらげるよう、感覚を麻痺させ、苦痛に耐えてきた。
――やめよう。
すべては今更だ。取り返しはつかず、私がどう足掻こうと過去は変わらない。
アルトメイデンなんて知らない。
これから彼がどんな恐ろしいことをしようとしても、私には関係ない。
彼は私の護りたかったものとは違う。
私の好きなオーギュストはあの日、すでに死んでしまったのだから。
オーギュスト「君は自分で思っているよりも、ずっとわかりやすいよ」
メアリ「そうかしら」
オーギュスト「ああ、とってもね」
オーギュスト「さあ、こっちだよ。ついておいで」
彼はまるでこの城を知り尽くしているかのように案内を始める。
どこに向かうのか。なにが起ころうとしているのか。
わからない。知ろうともしない。
ああ、そうよ。どうだっていいの。
私は一切感知しない。だって私にはなにもできないもの。
選択肢なんてない。
これから向かう先に、希望なんてないのだから。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
城内をくまなく探索した後、彼は言った。
オーギュスト「領主はいないみたいだね」
その意見に私も賛同する。
オーギュスト「この様子なら、城を空けて数年は経っているだろう」
軽く見渡しただけで、ここに誰も住んでいないことがわかる。
窓ガラスは雨風を吹き付けられ曇り、当時よく磨き上げられていた床には埃が目立っていた。
オーギュスト「そうか、やはり……」
うつむき肩を震わせる姿に、また情緒を乱したのかと不安に思う。
パニックを起こす前に安心させようと手を握ると、彼の口元に亀裂が走った。
クツクツと喉が鳴る。
オーギュスト「やはり、私の思ったとおりだ。現在西の地を統べる領主は不在。
それはこの地方に人の集落が存在しないからだ」
オーギュスト「メアリ、君には長い間寂しい思いをさせてしまったね」
メアリ「どういう意味……?」
オーギュスト「君の悲しみは知っている。いくら君が私の側にいたくても、
一日中一緒とはいかないんだ。私には君を護る義務があるからね。
一人取り残されればさぞ心細かったろう?」
オーギュスト「安心していい。これからは一人じゃない。そうさ」
オーギュスト「私と一緒に村を作ろう」
オーギュスト「私と一緒に家族を作ろう」
オーギュスト「君と私だけの世界を作ろう」
オーギュスト「さあ、メアリ」
メアリ「……っ!」
差し出された手から逃げるように、数歩後ろへ下がった。
心臓が早鐘を打つ。
全身が粟立ち、背中を冷たい汗が流れた。
――彼の言葉が理解できない。
『私と一緒に、 を作ろう』
その先に待つ光景を想像し、目眩と共に吐き気をもよおす。
オーギュスト「メアリ?」
メアリ「いやっ!」
彼に触れられるのを恐ろしく感じ、反射的に払いのけた。
理由はわからないが、突然彼の手がとてもおぞましいものに思えたからだ。
オーギュスト「どうしたというんだい、メアリ」
ここまではっきりと拒絶したのは初めてだったかもしれない。
彼は叩かれた甲をさすり、呆然と立ち尽くしていた。
メアリ「お願い、こっちに来ないで……」
オーギュスト「なぜだ、どうしてそんな顔をしているんだ! そんな目で私を見ないでくれ!
そんな哀れんだような目で、汚れたものを見るような目でっ!」
メアリ「ああっ」
錯乱した彼に肩をつかまれ、強引に引き倒される。
仰向けに倒れた私に覆いかぶさると、上から押さえつけられた。
オーギュスト「私は君を愛している! 心から愛しているんだっ!」
オーギュスト「それだけなのに、私にはそれしかないのに、君は――っ!」
メアリ「は、あ……っ」
まるで喰らいつかんとする勢いで締め上げられ、息ができない。
激しい感情にむさぼられる抱擁。
自身を拒まれたことで傷ついた彼は、涙を流し訴え続けていた。
メアリ「やめて、苦しいわ……っ。私が悪かったの。ごめんなさい」
メアリ「私を許して……。痛い、の、離して……」
オーギュスト「嫌だ、嫌だ、嫌だっ! この手を離したら、君は行ってしまう。
私を見捨て、どこかへ消えてしまうんだ! そんなのは嫌だ、耐えられない!」
メアリ「……っ」
身体への苦痛に加え、耳に響く慟哭が胸を締め付ける。
相手から伝わる熱はなく、心臓代わりの時計の音が規則正しくリズムを刻んでいた。
なんて哀れな人。神様にも人間にも見放された孤児。
誰よりも愛に飢えている彼が、誰からも愛されないとは皮肉な話だ。
オーギュスト「君を愛しているんだ。信じてくれ」
オーギュスト「君は私のすべてだ。私には君が必要なんだ。君がいなければ、私は……っ」
メアリ「私、は……?」
オーギュスト「愛している、メアリ」
オーギュスト「愛しているんだ、私のアルトメイデ――」
ぐしゃり、と。
突如、不快な音と共に私の視界から彼が消えた。
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