夕暮れの教室。
昼と夜の曖昧な境目。
燃える陽が沈み、深い影を落とす。
混在する赤と黒。
たとえ目に見えなくとも、明暗を分ける境界線がそこにあった。


震える背中と、かすかに漏れる慟哭。
誰も居なくなった学び舎で、彼は一人佇んでいた。


メアリ「オーギュスト……」
ただならぬ雰囲気に放っておけなかったのは事実だ。
だから声をかけた。
不安があるなら取り除いてあげたかった。
彼の力になりたかった。


私の肩をつかみ、すがるように泣きつく。
かつて彼がこれほどまで取り乱した姿を見たことはない。
人目も気にせず泣きじゃくる姿は、まるで母を求める幼子のようで。
その様子は私の知るオーギュストとあまりに違った。


オーギュスト。私の大切な人。
私は彼を愛している。
恋愛感情とは違うが――友人として、あるいは家族のように。
神に仕えながらも取り払えない『感情』の部分で私は彼を愛していた。


涙に濡れた頬をそっと拭い、彼を抱きしめた。
驚いたような顔で見上げるオーギュスト。
私は心臓の位置へ彼の頭を導き、そのまま優しく髪をなでた。
メアリ「大丈夫よ。私がここにいるから、なにも怖いことなんてないわ」
オーギュスト「メアリ……」


オーギュストは私になにかを伝えようとしていた。
心に渦巻く不安を押しのけ、冷静さを取り繕って言葉を捜していた。


『……私が私でいられなくなるんだ。君を失えば、私がここにいる意味がない。
私がここに居るということは、私が私で居るということで、
私でなくなるときに私でなくなれば、
私でないものは、私が望んだ君を、
君ではないなにかにしようとするのか?』

『私の中から声が聞こえるんだ。あの日から私のことを……』

『だから私には、メアリ。君が必要なんだ。
それだけじゃない。君にも私が必要なんだ。
私がいなければ、君は君でなくなる。
君が居なければ、私の意味がなくなるように』

『そうなる前に、私を私で無くすものを、
私が私で居るうちに、
私を無くそうとするものを私は……』


『私は』
『私は』
『私は!』


それは言葉遊びというには難解で、正解など到底わからない。
どちらかといえば、暗闇に怯える子供の泣き声に似ていた。
得体の知れない恐怖から逃れ、母親にすがり助けを乞う。
だからこそ必死さだけは嫌というほど伝わってきた。
私はそこで始めて、彼の抱える闇の大きさを知った。


メアリ「オーギュストは、オーギュストよ」
オーギュスト「私は、私……?」
メアリ「たとえどんなに変わっても、あなたはあなたよ。それだけは絶対に変わらない」
オーギュスト「私だと判らないほどになってしまっても、それは私だろうか」
オーギュスト「元の私を思い出させるようなところなど何ひとつなくなっても?」
メアリ「何ひとつ残っていなくても、それがオーギュストだったものなら私にはわかるわ」
メアリ「あなたはあなたなんだって」


聞かせていた胸の鼓動が同調し、彼を落ち着かせていく。
夕暮れの教室で触れ合いながら、私たちはこの世に二人だけ取り残されたかのように思えた。


オーギュスト「メアリ……」
オーギュスト「ありがとう」
オーギュスト「その言葉が、希望があれば、私はきっと私で居られる」
オーギュスト「……たとえ私が、私でなくなっても……」


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今なら彼がなにを言わんとしていたのか少しだけ理解できる。
『私が、私でなくなる』
あの時はなにかの比喩表現かと思っていたが、彼が伝えようとしていたのは言葉通りの意味だった。
己を蝕むモノに怯え、必死に自分を保とうとしていた。



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